クリスタルキングのメンバーの現在|活動と全プロフィール総まとめ

クリスタルキングのメンバーの現在|活動と全プロフィール総まとめ

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クリスタルキングメンバー現在の状況が気になって検索しているあなたへ、本記事では最新の活動情報とプロフィールをわかりやすくまとめています。ムッシュ吉崎の現在のライブ活動や株式会社クリスタルキングカンパニーでの動き、田中昌之の現在のソロシンガーとしての再起、そして内田聖治の現在や2代目ボーカルとしての経歴まで網羅的に解説します。

さらに、クリスタルキング事件とは何だったのかという商標トラブルと裁判の真相、解散理由の背景、実際は解散していないのかという疑問にも踏み込みます。クリスタルキング事故とハイトーンボイス喪失の真実や、クリスタルキング現在の年収と活動スタイルの実態など、多くの人が知りたいポイントも丁寧に整理しています。

加えて、クリスタルキング大都会の伝説やセシル、愛をとりもどせ!!など名曲の数々が今も語り継がれる理由、そして演奏メンバーまとめとしてギターやキーボード、ベース、ドラムの現在と経歴も紹介します。クリスタルキングメンバー現在の全体像を一気に理解できる内容になっていますので、長年のファンの方も最近興味を持った方も、ぜひ最後までチェックしてみてください。

クリスタルキングのメンバーの現在|活動とプロフィールを徹底解説

  • ムッシュ吉崎の現在|ソロプロジェクトとしての活躍とライブ活動

  • 田中昌之の現在|ソロシンガーとしての再起とハスキーボイスの魅力

  • 内田聖治の現在|2代目ボーカルの経歴

  • 演奏メンバーまとめ|ギター・キーボード・ベース・ドラムの現在と経歴を総覧

ムッシュ吉崎の現在|ソロプロジェクトとしての活躍とライブ活動

項目 内容
本名 吉崎勝正(よしざきかつまさ)
愛称・呼称 ムッシュ吉崎
生年 1948年12月25日
担当 クリスタルキング創設者、ギター、リーダー
主な実績 1971年にクリスタルキングを創設。1980年に「大都会」でメジャーデビュー。現在もソロ形式で活動中。
活動状況 横浜市を拠点に月2回の定期ライブとディナーショーを開催。商標管理なども行う。
所属会社 株式会社クリスタルキングカンパニー代表

クリスタルキングの創設者でありリーダーのムッシュ吉崎は、現在も「クリスタルキング」の名義でソロプロジェクトを継続中です。2026年現在77歳という年齢ながらも、ライブ活動を精力的に行っており、その存在感は衰えていません。

その背景には、長年にわたり音楽業界の第一線を走り続けてきた経験と、唯一無二の低音ボイスが挙げられます。ムッシュ吉崎は「低音のムッシュ」と呼ばれるほど重厚な歌声が特徴でしたが、近年はミックスボイスの習得により、高音パートにも対応するなど表現の幅を広げています。

具体的には、現在でも横浜を拠点に月2回の定期ライブを開催し、ディナーショーも年に数回実施しています。クリスタルキング時代と変わらぬペースで活動を続けており、ライブでは『大都会』や『愛をとりもどせ!!』といった名曲も披露。ファンの間では「年齢を感じさせない声量」と評されています。

また、ムッシュ吉崎は株式会社クリスタルキングカンパニーの代表取締役としても活動しており、ビジネス面でもグループ名を管理しています。2009年には元ボーカルの田中昌之が「元」を付けずに「クリスタルキング」と名乗ったことに対し、商標権を巡る訴訟を起こしたことでも話題になりました。

テレビ出演は控えめですが、YouTubeやライブ映像を通じて根強い人気を維持。新曲の発表は少ないものの、伝説的なボーカルスタイルとともに今も「生きるレジェンド」として現役を貫いています。

田中昌之の現在|ソロシンガーとしての再起とハスキーボイスの魅力

項目 内容
本名 田中昌之(たなかまさゆき)
生年 1951年6月30日
担当 元クリスタルキング初代ボーカル(ハイトーンボイス)
主な実績 「大都会」「愛をとりもどせ!!」などでハイトーンボーカルを担当。1987年にグループを脱退。
特徴 4オクターブとも言われる圧倒的なハイトーンボイスを持つ。
現在の活動 ソロシンガーとして全国でライブ活動を継続。年齢を重ねながらもハスキーな歌声で活躍。
備考 草野球中のケガによりハイトーンを失ったが、復帰して再起。2011年に心筋梗塞を乗り越える。

かつて「3オクターブの美声」と称された田中昌之(たなか まさゆき)は、2026年現在74歳。今もソロシンガーとしてライブを中心に活動を続け、ハスキーな声質を活かした新たな歌唱スタイルを確立しています。

田中がソロシンガーとして再び注目されている理由は、幾多の逆境を乗り越えた強い意志と、変化を恐れない音楽への情熱にあります。特に1989年、草野球中のアクシデントで喉に打球を受け、長年の武器だったハイトーンボイスを失ったことは大きな転機でした。

その後、1995年にクリスタルキングへ三度目の加入を果たしましたが、1998年に脱退。以降は完全にソロに転じ、現在ではハスキーボイスを磨き上げた表現力で、独自の魅力を放っています。ライブ活動も活発で、X(旧Twitter)では各地のステージ情報を頻繁に発信しており、イベント出演やディナーショーなどを定期的に行っています。

また、田中は2011年に急性心筋梗塞で倒れ、生死をさまよう経験をしました。搬送中に一時心肺停止状態に陥るものの、奇跡的に回復。この体験が彼の音楽人生に新たな覚悟をもたらしました。以来、健康管理にも力を入れながら、命ある限り歌い続ける姿勢を貫いています。

一方、2009年には「クリスタルキング事件」として知られる商標権を巡る訴訟に巻き込まれました。これは、田中が「元クリスタルキング」との表記なしで公演を行ったことに対し、ムッシュ吉崎が提訴したものです。結果として訴えは棄却されましたが、2人の関係は完全に決裂し、再共演の可能性は極めて低いとされています。

それでも田中は、クリスタルキング時代の代表曲『大都会』や『愛をとりもどせ!!』を自身のライブで披露し、当時のファンだけでなく若い世代にも支持を広げています。失われたハイトーンの代わりに得た深みある歌声で、2026年もなお第一線で輝き続ける稀有な存在です。

内田聖治|2代目ボーカルの経歴

項目 内容
本名 内田聖治(うちだせいじ)
生年 1959年1月8日
担当 クリスタルキング2代目ボーカル
在籍期間 1998年〜2002年頃まで在籍
主な実績 初代ボーカル脱退後の楽曲制作やステージパフォーマンスを支えた実力派
評価 声質や表現力が高く、2代目ながら根強いファンも多い
近況 2019年に他界。死因は報道されていないが、多くのファンに惜しまれた

内田聖治は、1998年から2002年までクリスタルキングの2代目ボーカルとして在籍していた実力派シンガーです。2026年現在、彼はすでにこの世を去っていますが、その経歴と功績はクリスタルキングの歴史に深く刻まれています。

なぜ内田聖治の経歴が注目されるのかというと、初代高音ボーカルである田中昌之の脱退後、その穴を埋める形でグループに加入し、難易度の高いクリスタルキング楽曲を歌いこなす数少ない存在だったからです。彼の加入は、グループが再編される大きな転機でもありました。

内田聖治は1959年1月8日、熊本県で生まれました。1977年に上京し、プロシンガーとして活動を開始。1980年代には「サンバ・クラブ」というグループでデビューを果たしており、音楽業界ではすでに実力派として知られていました。1998年、田中昌之の3度目の脱退後にクリスタルキングに加入し、2代目高音ボーカルとして活動を開始。『愛をとりもどせ!!』の再録版やライブパフォーマンスで高音パートを担当し、ステージ上でもムッシュ吉崎との新たなツインボーカル体制を構築しました。

その後、2002年にグループを離れてからもソロアーティストとして全国のライブイベントに出演し続け、ブログやSNSでファンと交流を図るなど活動は続いていました。しかし、2019年3月8日、60歳のときに亡くなりました。この訃報は、弟子筋にあたるミュージシャンがInstagramで公表したことで知られ、ファンの間に大きな衝撃を与えました。

突然の死を惜しむ声は多く、かつての関係者やファンからは「もっと歌声を聴きたかった」というコメントが寄せられました。内田は、短期間の在籍ながらもグループの支柱を担い、音楽的にも重要な存在だったのです。

演奏メンバーまとめ|ギター・キーボード・ベース・ドラムの現在と経歴を総覧

クリスタルキングというと、どうしてもボーカルの印象が強いですよね。ただ、実際にサウンドを形づくっていたのは、ギター・キーボード・ベース・ドラムといった演奏メンバーの存在です。彼らの現在や経歴を知ることで、バンドの本当の姿がより立体的に見えてきます。

なぜなら、クリスタルキングは1971年に九州で結成され、1979年に大都会でブレイクするまで、長い下積みを経験してきたバンドだからです。その過程で演奏陣は何度も入れ替わり、それぞれが重要な役割を担ってきました。

ギター

・山下三智夫さんは、グループ初期から在籍し、大都会や蜃気楼、愛をとりもどせ!!などを作曲した中心人物です。1979年の再デビュー時には在籍しており、キャニオン・レコード時代の音楽的基盤を築きました。1986年に脱退後は福岡県久留米市でスナックを経営していると報じられています。現役時代はリードボーカルも担当しており、単なる演奏者ではなく、音楽的な方向性を決める存在でした。

・上坂哲史さんはギタリストとして在籍後、現在はSOY-Gカンパニーで活動していると伝えられています。ライブ中心の活動を継続しており、音楽業界にとどまり続けている一人です。

・川上聡さんは1986年以降に参加したギタリストで、現在はスガナミ楽器で講師を務めています。音楽教育という形でキャリアを広げているのが特徴です。

・福田彰一郎さんは1998年まで在籍していましたが、その後の詳細な活動情報は多くは出ていません。ただ、1990年代後半のバンド再編期を支えたメンバーであることは確かです。

キーボード・ピアノ

・今給黎博美さんはキーボード担当で、多くの楽曲を山下三智夫さんと共作しました。明日への旅立ちやユリア永遠になど、シンセサウンドを活かした楽曲に強く関与しています。現在は福岡市を拠点に音楽活動や講師業を行っているとされています。

・中村公晴さんはピアノ担当でありながら、愛をとりもどせ!!の作詞も手がけた人物です。1975年から1998年まで在籍し、グループを長期にわたり支えました。現在は静岡県に移住し、穏やかな生活を送っているという報道があります。

ベース

・野元英俊さんは元自衛隊員という異色の経歴を持つベーシストです。1986年まで在籍し、脱退後は千葉県でNomo-G Farmという農園を運営しています。音楽から農業への転身はファンの間でも話題になりました。

・尾町英司さんは1993年まで在籍。脱退後にニューヨークで14年間活動し、2015年に帰国しています。海外経験を積んだベーシストとして知られています。

・秦好樹さんは1993年から1999年までベースとプログラミングを担当しました。プログラミングとは、電子機器を使って音を打ち込む制作技術のことです。現在は香川県でうどん店を経営しつつ、音楽制作事務所を設立し若手育成にも関わっているとされています。

ドラム

・金福健さんは初代ドラマーで、1983年まで在籍しました。2014年4月16日に亡くなられています。

・高木和好さんは1985年から参加し、現在も年間150本以上のライブに出演しているとされています。音楽講師としても活動中です。

・ファンキー末吉さんは1984年に一時在籍し、その後爆風スランプで全国的な人気を得ました。現在は中国を拠点に活動しています。

・高岡丈二さんは1998年まで在籍。以降の詳細は多く語られていませんが、1990年代の後期体制を支えたドラマーです。

演奏メンバー一覧まとめ

パート 主なメンバー 現在の主な活動
ギター 山下三智夫さん 久留米でスナック経営
ギター 上坂哲史さん SOY-Gカンパニーで活動
キーボード 今給黎博美さん 福岡で音楽活動・講師
ピアノ 中村公晴さん 静岡で生活
ベース 野元英俊さん 農園経営
ドラム 高木和好さん ライブ・講師活動

こうして見ると、音楽を続ける人もいれば、まったく別の道に進んだ人もいます。ここ、気になりますよね。バンドは解散や再編を繰り返しましたが、それぞれのメンバーが独自の人生を歩んでいることがわかります。

クリスタルキングはボーカルだけで語られるバンドではありません。演奏メンバーの存在こそが、あの重厚なサウンドを生み出していたのです。

クリスタルキングのメンバーの現在に関する話題と代表曲の今

  • 大都会の伝説|令和でも語り継がれるヒット曲の背景

  • セシルや愛をとりもどせ!!など名曲の数々

  • 事件とは|田中との商標トラブルと裁判の真相

  • 解散理由|実際は解散していない?ソロ移行の背景

  • 事故とハイトーンボイス喪失の真実

  • 現在の年収や活動スタイルの実態とは

大都会の伝説|令和でも語り継がれるヒット曲の背景

クリスタルキングの代表曲「大都会」は、1979年のリリースから現在に至るまで、日本の音楽史にその名を残す不朽の名曲として語り継がれています。令和の時代になってもなお、世代を超えて愛され続ける理由があります。

この曲が今なお語られるのは、その圧倒的なインパクトと時代を超えたメッセージ性にあるからです。ツインボーカルによる緊張感あふれる掛け合いや、哀愁とスケール感のあるメロディが、日本の音楽シーンに強烈な印象を残しました。

「大都会」は、1979年11月21日にキャニオン・レコードから発売されたクリスタルキングの再デビューシングルで、作曲は山下三智夫、作詞は阿木燿子によって手掛けられました。ボーカルは低音担当のムッシュ吉崎と、3オクターブの高音を誇る田中昌之が担当し、その対照的な声質が一体となって独特なサウンドを作り出しています。

この楽曲は累計150万枚を超えるセールスを記録し、当時の音楽番組『ザ・ベストテン』では堂々の1位に輝きました。都市の孤独感や希望を描いた歌詞は、都会で生きる人々の心を強く揺さぶり、「これぞ日本のロックバラード」として高く評価されました。なお、1980年にはNHK紅白歌合戦にも初出場し、披露された実績を持ちます。

また近年では、NHKの人気番組『香川照之の昆虫すごいぜ!』のオープニングテーマとして再注目されるなど、意外な形で若い世代にも認知が広がっています。このように、「大都会」はリリースから40年以上を経てもなお、新たな価値を持ち続けているのです。

セシルや愛をとりもどせ!!など名曲の数々

クリスタルキングは「大都会」だけでなく、「セシル」や「愛をとりもどせ!!」など多くの名曲を世に送り出してきました。その音楽性の豊かさと時代を象徴するような楽曲の数々は、現在でも高く評価されています。

名曲が多い理由は、メンバーそれぞれの演奏・作曲能力が高く、特に山下三智夫や今給黎博美といった作曲陣が生み出すメロディに加え、個性あるボーカルとの融合によって、唯一無二の世界観が構築されたからです。

1980年にリリースされた「蜃気楼」は、資生堂のキャンペーンソングに採用され、75万枚のセールスを記録。1982年の「セシル」は、情熱的な歌詞とメロディが特徴で、ボーカル田中昌之の表現力が光る一曲としてファンに根強く支持されています。

そして、1984年にはアニメ『北斗の拳』の初代主題歌「愛をとりもどせ!!」がリリースされ、日本全国で爆発的なヒットとなりました。この楽曲はテレビアニメの枠を超えて社会現象となり、パチンコ・ゲーム・映画とメディアをまたいで繰り返し使われ、何度もセルフカバーされるほどのロングセラーとなっています。中でも、2006年のアニメ映画『ラオウ伝 殉愛の章』では、ムッシュ吉崎が再録音したバージョンが使用され、野村義男がギターで参加するなど話題を呼びました。

その他にも「処女航海」や「Church」「MOON LIGHT」など、叙情的なロックから熱血アニメソングまで幅広いジャンルに挑戦しており、単なる一発屋ではないことを証明しています。

2026年現在でも、ライブやイベントではこれらの名曲が歌い継がれ、初期のファンはもちろん、若い世代にも「日本の名バンド」としての地位を確立しています。クリスタルキングの楽曲は、単なる懐メロではなく、音楽的価値を持ち続ける存在であり続けているのです。

事件とは?田中との商標トラブルと裁判の真相

「クリスタルキング事件」とは、2009年にリーダーのムッシュ吉崎が、元メンバーの田中昌之を相手に起こした商標トラブルを巡る訴訟騒動です。この事件は、音楽ファンの間でも波紋を広げ、バンドの内情が法廷で明かされた珍しいケースとして知られています。

この出来事が重要視されるのは、「クリスタルキング」という名称を巡って、創設者と元看板ボーカルが真っ向から対立したからです。双方ともに長年グループに所属し、多くのヒット曲を生んだ実績を持っていたため、その使用権を巡る争いは複雑かつ感情的なものになりました。

事の発端は、田中昌之が「元クリスタルキング」という表記を用いずに、自身のライブや広告などで「クリスタルキング」と名乗ったことに対して、吉崎が異議を唱えたことでした。吉崎は、自身が代表を務める「株式会社クリスタルキングカンパニー」にてグループ名を正式に商標登録しており、これを侵害されたとして、東京地方裁判所に提訴しました。

裁判は2010年に判決が下され、吉崎の請求は棄却されました。理由としては、「田中がグループ名を使ったことで吉崎の社会的評価が損なわれたとは言いがたい」という点が挙げられました。また、田中が過去にテレビ番組で「クリスタルキングは解散した」と発言したことについても、発言から3年以上が経過していたため、名誉毀損の時効が成立していました。

田中はこの騒動について、「自分から“クリスタルキング”と名乗ったことは一度もない。周囲がそう紹介してしまうだけ」と語っており、裁判中は「被告」と呼ばれることに強い違和感を抱いていたとも明かしています。一方の吉崎は、長年の下積みを経て築いた「クリスタルキング」というブランドを守る意志から訴訟に踏み切ったとされています。

この一連の裁判劇を通じて、2人の関係は完全に断絶され、和解の見通しは立っていません。2013年に一部元メンバーが集結した「同窓会コンサート」でも、吉崎は不参加を貫きました。「大都会」という曲名とは裏腹に、解消しきれない溝が今も残っているというのが、この事件の象徴的な結末です。

解散理由|実際は解散していない?ソロ移行の背景

クリスタルキングは一見すると何度かの解散を経たように見られがちですが、実際には正式な「解散」はしておらず、現在もリーダーのムッシュ吉崎によるソロプロジェクトとして活動が継続されています。この点が他のバンドとの大きな違いです。

解散したと思われている背景には、メンバーの脱退が相次いだことと、表立ったグループ活動が途絶えた時期があったためです。とくにボーカルの田中昌之が3度目の脱退をした1998年以降は、グループとしての実質的な活動がなくなり、一般的には「解散」と認識されるようになりました。

1971年に九州・佐世保で結成されたクリスタルキングは、1979年の『大都会』でメジャーブレイク。以降も『蜃気楼』や『愛をとりもどせ!!』などのヒットを飛ばしました。しかし、1986年を境に主要メンバーの脱退が相次ぎ、1998年には中心的な演奏陣がほぼ退き、実質的に吉崎一人が残る形となりました。

この転機以降、吉崎は「クリスタルキング」の名義を維持したまま、ソロ活動としてライブやディナーショーを展開。楽曲制作よりもパフォーマンスに注力する形で、年齢を重ねながらも精力的に活動を続けています。2026年現在も横浜を中心に定期公演を行い、公式サイトで活動情報を発信しています。

一方、過去のメンバーたちはそれぞれの道を歩んでいます。田中昌之はソロシンガーとして活動し、高木和好や今給黎博美は自身の音楽教室やローカルバンドでの活動に専念。こうした状況がバンドの「分裂」や「自然消滅」のように見えたため、「クリスタルキングは解散した」という誤解が広がったのです。

つまり、クリスタルキングは形式上の「解散」はしておらず、ソロ名義での継続に移行したというのが実態です。メンバーの入れ替わりや法的トラブルを経てなお、「クリスタルキング」の看板は消えることなく、現在もリーダーの吉崎によって守られています。

事故とハイトーンボイス喪失の真実

かつて「3オクターブの奇跡」とも称された田中昌之のハイトーンボイスは、ある事故をきっかけに失われました。クリスタルキングの象徴の一つとも言えるその声が消えた出来事は、ファンにとっても衝撃的な転機でした。

その理由は、田中が38歳のとき、趣味の草野球の試合中に喉に打球を受け、声帯に深刻なダメージを負ったからです。事故当時、田中はまだクリスタルキングの活動から離れており、ソロとしても模索中の時期でしたが、この一件がその後の音楽人生に大きな影響を与えることとなりました。

事故が起きたのは1989年頃、場所は仲間内で行われていた草野球の試合中。バッターが放った打球がノーバウンドで田中の喉元を直撃しました。その瞬間、声が出なくなり、病院で診察を受けたところ、声帯に強い打撲と内出血が認められたとされています。一定期間の休養とリハビリによって日常会話には問題ない程度まで回復しましたが、かつてのようなハイトーンボイスは戻りませんでした。

この出来事によって、彼は「神様に与えられた才能を奪われた」と感じ、一時は酒に溺れ、精神的にかなり追い詰められていたとインタビューで語っています。しかし、ある日博多の路上で、見ず知らずの女性から「あなた、その生き方恥ずかしくないの?」と叱責されたことをきっかけに、自らを奮い立たせ、ハスキーボイスを活かした新たな歌い方を模索し始めました。

以降は、完全な復活とはいかないまでも、田中はボーカリストとしての活動を再開し、現在も全国でライブ活動を行っています。ハイトーンこそ失ったものの、人生のどん底から立ち上がった彼の姿は、多くの人に勇気を与えてきました。

現在の年収や活動スタイルの実態とは

2026年現在、クリスタルキングはムッシュ吉崎を中心としたソロプロジェクトとして活動を続けており、その年収や活動スタイルについても一定の関心が集まっています。テレビ出演は少ないものの、ライブ活動を軸に着実に活動しているのが実情です。

年収が注目される理由は、かつてのメガヒットによる印税やパチンコ・アニメなどでの楽曲再利用が続いているため、定期的な収入があると考えられているからです。また、ライブやディナーショーの出演料、企業イベントなども収益の柱となっています。

具体的に見ると、現在のムッシュ吉崎は、月2回程度のペースで横浜のライブハウスに出演しており、ディナーショーも年に数回行っているとのことです。1公演あたりのチケット価格や観客数を考慮すると、年間の音楽活動による収益は数百万円から1000万円台と推測されます。さらに「愛をとりもどせ!!」はパチンコやアニメで度々使用されており、JASRACによる著作権分配ランキングでも上位にランクインした実績があることから、版権収入も継続して得られていると見られます。

また、ムッシュ吉崎は自身が代表取締役を務める「株式会社クリスタルキングカンパニー」を通じて商標管理も行っており、ブランドの運用からも安定収入を得ている可能性があります。かつてのメンバーとのトラブルからも分かるように、名称の管理に強いこだわりを持っている点からも、ビジネス面での意識は高いといえるでしょう。

活動スタイルとしてはテレビやメディア露出を控えめにしつつ、熱心なファンとの距離が近いステージ中心型の運営にシフトしています。このような形は、高齢となったアーティストが無理なく長く続けられるスタイルとして定着しており、吉崎自身も「ライフワークとしてライブを続ける」と語っています。

まとめると、クリスタルキングの現在は「静かながらも堅実な活動」を展開しており、ムッシュ吉崎は今も現役として音楽業界に存在感を示し続けています。年収も一般的なリタイア世代と比較して高水準で、まさに“生きる伝説”としてのキャリアを築いています。

クリスタルキングのメンバーの現在を総括してわかる活動と変遷

  • ムッシュ吉崎は2026年現在77歳でクリスタルキング名義のソロプロジェクトを継続中
  • 横浜を拠点に月2回の定期ライブと年数回のディナーショーを開催
  • 株式会社クリスタルキングカンパニー代表として商標管理も行っている
  • 田中昌之は74歳で全国ライブを続ける現役ソロシンガーである
  • 草野球事故でハイトーンを失うもハスキーボイスで再起した存在である
  • 2011年の心筋梗塞から復活し音楽活動を継続している
  • 内田聖治は1998年から2002年まで2代目ボーカルを務めた実力派である
  • 内田聖治は2019年に逝去し短期間ながら重要な役割を担った人物である
  • 山下三智夫は大都会などを作曲した中心的ギタリストである
  • 今給黎博美は福岡を拠点に音楽活動と講師業を行っている
  • 野元英俊は脱退後に農園経営へ転身した元ベーシストである
  • 高木和好は現在も年間多数のライブに出演する現役ドラマーである
  • 2009年には田中と吉崎の間で商標を巡る裁判が起きた
  • クリスタルキングは形式上の解散はしておらずソロ体制で存続中である
  • 大都会や愛をとりもどせ!!は令和の現在も歌い継がれている代表曲である

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